大手企業内でのオンサイトアウトソーシングを中心に、複合機関連サービス事業を展開。人材が定着しないことの悩み 新卒は過去に採用したことがありますが、現場に教育力がなく、定着に問題がありました。その後、即戦力を目的とした中途採用にし、必要に応じて外部の研修を利用していました。しかし、外部の研修に出ても、現場ですぐに使えるものとは限らず、うまく効果が上がらないということを繰り返していました。また中途採用の場合、同社の経営理念が浸透しにくいということもありました。経営理念を理解し、それに基づいて行動できる人材をどうしたら育成できるか悩み、再び新卒採用に転換。「新卒採用を毎年行うことで、後輩に教え、自分も成長していく企業の文化ができる。時間はかかるし面倒かもしれないが、それを面倒だと避ける職場に問題がある」と米田氏は考えました。人間教育を支える、行動指針「HERO’S」昨年、米田氏は東京同友会主催の2泊3日の新入社員研修に運営委員として参加しました。研修のグループ討論で、助言者として他社の新入社員の話や悩みを聞く中で、「若者に共通していたのは、知識偏重主義の影響なのか、他人を見た目で判断し、人間関係が広がらないし恐れている」と感じ、「仕事の知識や技術だけでなく人間教育が必要」と気付きます。そして、社員の行動指針「HERO’S」(H:Harmony協調性ある行動、E:Energy満ち溢(あふ)れるエネルギー、R:Reality現実を見極める眼、O:Originality個性豊かな人間性、S:Step by step一歩一歩、着実な成長を…)を打ち出しました。その後、これをもとに、「JII HERO'S研修」を立ち上げます。これは社長自らが「人生とは何か」、「仕事とは何か」を伝えていこうというもので、毎週金曜日にテキストに沿って、新人によるグループ討議を中心に行っています。ここでは、テーマにもとづき自分たちの体験を含め議論し、それをどう生かしていくかを学びます。人生や生き方をどうとらえるかを考える場となり、それが結果的に仕事に対する姿勢の変化につながっています。「今は全般的に人間関係がドライ。仕事の知識やスキルを上げる教育だけでなく、人間教育も会社を伸ばすためには必要」と米田氏。多彩な教育メニュー同社の教育メニューは多彩です。新卒社員向け、中途入社向け、1年以上の社歴を持つ一般社員向け、管理職向けなど、「対象者ごと」と「共通メニュー」をそろえています。「共通メニュー」はビジネスマナー、パソコン操作の基本、デジタル印刷など5つのカテゴリーに分けられています。昨年、教育制度を見直し、従来のOJT、OFF―JTのほか、通信教育、eラーニングなど、教育全般にツールやメニューを増やしました。新入社員は同友会の新入社員研修を基本研修としてスタートし、1年間の計画が組まれています。ただ、昨年はこうしたメニューが50にも及び、社員にとって仕事をこなす中で負担となる面もあり、後半からは、顧客の工場見学やゲーム形式など、リラックスして学べるメニューも加えました。芽生えた共に育つ社風「共通メニュー」のビジネスマナーでは、東京同友会のビジネスマナーインストラクター養成講座を卒業した社員が講師を務め、現在4名に増えました。その1人、岡田優子さんは、「新入社員が入ることで、社内が非常に活性化しています。自分の仕事を知らない人に分かりやすく知らせることは難しいですが、そのことで、自分自身の仕事が改めてよく分かります。新入社員と共に育ち合っていくことの大切さを実感しています」と話します。新たな経営理念とともに今年4月には、新しい経営理念「『TIME』確かな技術とサービスでお客様に価値ある時間を提供し続けます」を発表しました。社員に発表する前に、先行して合同企業説明会のブースで提示したところ、ある学生から「『価値ある時間』という言葉がかっこいい」という反応がかえってきました。今年、その学生が同社に入社しました。経営理念を共に実現していく、「共に育つ」社員の育成が現在進行中です。(2008年中小企業家しんぶん5月15日号)
同社は福祉機器開発・販売の会社です。1987年に視覚障害者向けのパソコンのサポート
販売から事業をスタート。96年に印刷物を読み上げるパソコン用のソフト「ヨメール」を発売し97年の売上は前年の2倍に成長。『日経最優秀製品サービス賞』を受賞し会社を拡張していったが、売上は伸びず、赤字状態が一気に拡大し体質化します。その後は助成金なしには運営できない「1輪車操業状態」。同友会の経営指針セミナーに参加し、財務管理の甘さを痛感し、財務管理。月次試算表、変動損益計算書の考え方を理解し、売り上げと固定費と利益のバランスを把握しました。数年前から黒字化へ。最近では「目標利益計画書」をつくっています。社員も売上目標に対する意識も高まった。その後経営者としての自己改革とともに「成長評価シート」など社員の評価や給与の決定を社員から意見を募集し開かれた制度としてスタート。現在取り組んでいるのは、経営指針の実践を深めていくことです。新製品の開発については、携帯できる小型の「よむべえ」を開発するなど開発力強化を目指している。30万人ほどいる視覚障害者という限られた市場を対象に、知名度を誇る同社。創業当時から視覚障害者関連企業にも呼びかけて開催する視覚障害者向けの展示会「アメディアフェア」も2009年で20年。視覚障害者分野の要としての地位を確かなものにしながら視覚障害を持つ高齢者などにも市場を広げていきたいと考えています。
同社は電気製品の卸売の会社です。経営指針セミナーで自社の強み弱みを整理し、本業である卸の原点を見直しました。その結果、今まであえて市場開拓をしてこなかった街の電気屋さんへの卸を主体とした具体的な戦略を立てることにしました。電気業界では営業マンの数が減り、カタログすら入手が難しくなってきました。そこで当社はまず始めに各メーカーのカタログを無料で郵送するサービスを始めましたところ、大きな反響が。次に営業開始時間も午前10時を9時半に、9時半から現在は9時スタートにと2度の変更をしました。それは電気店さんとしては午前9時から9時半までに商品在庫の確認をして、それから営業に出たいという要望がわかったからです。この営業開始時間も大変大きな反響がありました。このようにほんの小さな事ですがお客様の声を聞くこと、お客様の利便性を考えること、これが大きな反響を呼び信頼につながっていくことを実感しています。またこれからも電気店さんにとってプラスになりメリットのある仕組みを作りながら実行していきたいと思っています。そして、電気店さんから必要とされる人財集団を目指しながら。店主のご子息が喜んで家業を継ぎたいと思ってもらえるようになる。そんなお手伝いが出来ればといい考えています。
同社は部品加工のメーカー、試作品一個から量産品、注文して納品まで3日という特急品でも引き受けることが強み。しかし、作った製品がどのように使われているかはわかりません。電気自動車の開発は、墨田区と早稲田大学との産学官連携プロジェクトがきっかけで、プロジェクトに参加することで、図面では表現されない部分での気づき、開発から完成までの一貫した仕事の部分を従業員が理解しました。設計段階からものづくりの原点である使う立場になることができたという貴重な体験です。同社は全社を上げて「技術家集団」を目指しています。その一環として、2013年までには従業員全員が技能検定一級を取得する計画です。電気自動車の取組みは従業員のモチベーションアップに役立ちました。同社の電気自動車は、一人乗りのものは渋谷や代々木、越谷の公道で走っており、スピードは時速30`位で速くはありません。しかし、この速度には墨田区の戦略があります。2011年に世界一の新東京タワー(東京スカイツリー)が完成。予測では年間約500万人の観光客が見込まれますが、墨田区はその観光客が浅草にながれてしまうのではないかと考えます。浅草には多くの観光スポットがありますが、同区にも、森鴎外・芥川龍之介など文豪の旧居跡や両国国技館、吉良邸跡など名所旧跡が点在しています。そこで歩行困難な方や高齢者のための移動手段として同区は電気自動車を考えているのです。この取組みは「メイド イン 墨田」ということで、区内に新しい産業が生まれています。創造性のあるものづくり、技術力も高まり、新しい産業の創出につながると考えます。
街角博物館、ミュージアムの取り組み。すみだ工房ショップ、マニュファクチャー、オーダーできる、23店使い手のアイデアもらえる。墨田マイスター。人気マップです。屏風の博物館、父の時代から、お雛様の後ろから、ホテルまで、屏風のみ、昭和21創業、父は次男で向こうは日本橋で、父がここで別にスタート、学生の時に決めて継いだ、1年ちょっとしか仕事できず、がんでなくなった。ついで翌年同友会入会、立て替え平成3年、背中おしてくれたのが同友会の会員、ここにショウールームつくった。直接屏風見てもらうとお客きてくれる、博物館平成8年認定。そうすると圧倒的にお客増えた、情報を区が流してくれて、毎日毎日お客さんきてくれて、こんな屏風作ってくれの声がでて、今、帯を屏風にして残す人増えた。思い出を残す、11日にNHKの小さな旅にでます。七宝焼きやアクリルを屏風にしてくれのいろんな仕事くれる、ことわらずやっています。日本手ぬぐいもかわる、スカーフも屏風も。モネの絵柄のふろしきも屏風、新築祝いとか、羽子板の押し絵、江戸小紋の3人のコラボ品も。マイスターのいいところで共同も。透かし彫りの人とも共同。桟は木工屋さんに杉で作ってもらう、紙を下張る、裏表同じ枚数やらないとそりが入る。横薄くして、空気入るようにして、3枚重ねにして、風合いあり丈夫につくる。四角いのを一面6枚閉じこめてベタにして、6枚がふつう下張る。大きさと春物で変わる。特徴は和紙で蝶番つくっている。上下短くしている、強さで割り振っている。リバーシブルできるのが構造上なっています。蝶番でからくりできます。ビジネスで修学旅行の体験に売り込みにもしている。今年600名のビジネスにもなっている。(2009年10月取材、2007年中小企業家しんぶん1月5日号、2009年東京での全国総会報告)
地域のネットワークで保育園を守る働きながら子育てをしていく上で、最初の大きな壁となるのが保育園の入所です。東京都練馬区の公設 「練馬区立石神井町つつじ保育園」(園児114名)は、0歳児からの産休明け保育があり、園庭が広く、駅から徒歩5分の立地のため、1987年の開設当時から入所倍率の高い園です。06年に公設民営化された後も<NPO法人>未来こどもランド(以下、MKL)、MKLは利益を追求せず、父母会との連携を大切にし、設備を充実させ、男性の保育士も複数名配置。休日保育やスポットの延長保育なども実施しています。人口が70万を超えた練馬区では、60園ある区立保育園の待機児が毎年400名前後(無認可保育園等に預けながら区立を希望している世帯を含む)となっています。行政は、待機児解消など子育て支援策の拡大を図るため、区立保育園の運営経費を削減しようと、公設民営化を進めています。<保育園公設民営化の波>つつじ保育園の民間委託が発表されたのは、04年8月。しかし、いよいよ民間委託の動きが本格的になってきた05年5月、保育園を何とか自分たちの手で守りたいとの思いから、父母の有志によりNPO設立に向けた勉強会がスタート。6月には「NPO未来こどもランド」が立ち上がり、相澤氏は請われて理事長に就任しました。<親として欲しかった保育環境を実現>委託前よりも職員を多く配置、出入り口のオートロック化、靴箱を長靴が入るものにし、門も引き戸に取り替えるなどのMKLの対応に、親も信頼を高め、父母会との共催企画なども成功させていきました。<保育園は地域の子育ての拠点>現在の桂久美子園長は、委託移行期に区側が配置した園長でした。今では36年間務めた公務員という身分を捨て、同園の園長となって若手保育士を育成しています。「保育園は地域の子育ての拠点です。今日も、近隣に住む1歳児のお母さんが相談に来ました。区の仕様書に縛られて、柔軟な対応ができない部分もあります。現在の職員は若いですが、積極的に学び、努力しています。委託前の職員もこの園を愛していました。彼女らがいつでも立ち寄って話ができるように、このテーブルやいすを職員室にそろえました」。同園卒園の親や子、旧職員や現職員でつくる「つつじ組」は、月1回20名ほどが集まり、荒馬や太鼓の練習に励むなど、保育園を拠点にしたネットワークを形成しています。MKLは、「子どものため、親のため、地域のために」の理念を掲げ、保育園運営事業のほか、区の子育て学習委託講座や駅フラワーポット管理事業も実施。(2008年中小企業家しんぶん4月5日と09年3月15日号)
縮小する畳市場の中で1990年代後半までは、戸建ての普通住宅には畳の部屋が2〜3部屋はあったものです。全国平均では1世帯当たり16枚くらいあった畳の数は、現在では6枚くらいに減っています。10年ほど前には7億枚くらいだった畳の数は、2005年あたりで2億8000枚くらいに減っています。市場が縮小している斜陽産業の中、32年前年商1800万円だったキツタカは、現在30億円の売上に成長してきました。<資金繰り地獄>マンションが建ちそうなところに行っては、ゼネコンの現場事務所を回りました。やがて大手ゼネコンからも仕事が来るようになり、念願の4トン車を買うこともできました。職人も2人、3人と増えていったのですが、そのころから経理を一手に引き受けていた母親とケンカが絶えなくなりました。ところが仕事は忙しくなっていても、利益が出ていなかったのです。マンションは仕事をたくさん出してくれますが、値段はたたかれます。当時の原価率は65%を超えていました。さらに納品から現金になるまで大変時間がかかります。資金繰りは火の車だったのです。<儲かる仕組みづくり>資金繰りが良くなるためにはどうしたらよいのか、全国の畳屋さんを訪ねるなかで、「うちは儲かるシステムができている」という福岡の畳屋さんに出会いました。そこの番頭さんは、キツタカとそこの決算書を見比べつつ、「この違いが分かるか。決算書を読めない社長は失格だ」といいながら、「材料費、労務費ともに30%を超えてはならない。帰ったらそれをやりなさい」とアドバイスしました。しかし、新畳制作で相手がゼネコンでは、それは無理です。すると「新畳はやめなさい」といわれました。そこから方向転換を図りました。ターゲットをリフォーム屋さんに絞り、それまで売上の1割くらいだった畳の表替えの比率を高めていきました。今から10年ほど前です。もちろん、一気にゼネコンを切るわけにも行かないので、徐々に比率を変えてきました。<リフォーム中心に方向転換>関東地域にリフォーム屋さんは8万社あります。そこに、2月20〜23日と8月20〜25日の年2回、ダイレクトメールを送ることをこの10年やり続けています。賃貸アパートなどは3〜4月と9月が入れ替わり、リフォーム屋さんは忙しくなります。その忙しくなる直前にDMを打つのです。当時、畳の表替えは5000円くらいが相場でした。キツタカはDMで3200円とうたいました。コスト計算をきっちりすると可能な料金なのです。営業は、リフォーム屋さんが現場から帰ってくる夜7時以降に回るようにしています。私たちは「夜襲」と呼んでいます。<エコ畳やゼロエミッションにも挑戦>昨今、和室が減り続けています。和室を増やすことはできませんが、形を変え、洋間に置ける置き畳を販売しています。また、畳表の8割は中国産ですが、薬物混入問題などで中国製品に対する不信感が募っています。そんな中、残留農薬ゼロの「エコ畳表」を熊本の生産農家と共同で企画開発し、安全と安心も提供しています。現在、畳の生産は1日2000枚を超えており、畳を替えれば畳のゴミが出ます。今までは、産業廃棄物業者に年間7500万円を払って処分していました。この畳のゴミをリサイクルできないかと考え、昨年4月、福島県いわき市にリサイクル工場を設立しました。ここで、ゴミは地球環境に優しい固形燃料(RPF)として生まれかわります。畳、襖だけでなく、事務所から出た紙やお弁当のプラスチックゴミもここで処理し、キツタカからゴミは出さないというゼロエミッションを提唱しています。(2009年中小企業家しんぶん1月25日号)
創業より90年間、天然素材「ヴァージン漆」を用いて、安全性を徹底的に配慮した箸づくりをしている会社です。殆どの業者が合成樹脂塗料を使って機械塗装で作った箸を安かろう多かろうで業績を伸ばしている中、まず食べるものであるというところに原点を置き「本物に徹底してこだわってやっていこう」という理念を確立します。お箸は食べるためだけの道具ではなく、「お箸は食べ物」を標榜して、口に入る箸先には安心・安全を徹底的にこだわり、混じりの無いヴァージン漆を使用した本物のお箸の提供をしてまいりました。「マイ箸」もファッションにフィットさせ食事によって、食べる相手によって、使い分けができるようにとブランドの確立につながりました。デパートに販路を絞るにあたり、「本物で、食べても安心な箸」というコンセプトで営業を始め、消費者と対話しながらの対面販売方法を展開していただくよう提案、その結果、全国のデパートの箸の売上高の約50〜60パーセントのシェアは、兵左衛門製となりました。2007年には、日本と箸を使う文化圏である国との箸を通して箸の学術的研究と文化普及、国際交流友好を目的として「国際箸文化研究所」を立ち上げました。兵左衛門の商品は安心で安全だ」と徹底して消費者に向けて伝えることでお箸を販売しています。社員にも「ものづくりの王道を歩みます」、「偽物は作りません」、「嘘はつきません」とずっと社員に言い続けてきております。(2010年3月東京同友会から)
東京でも全体でいえば、人口が減っているから、仕事が「じわっ」と減っている、貸し事務所も減っている、マンションも減っている。湯建工務店でいえば、立て替え需要があるので仕事同じぐらいある。会社から半径1キロメートル圏内を仕事の場所とみて、宣伝もして営業エリアにしているので、現場の隣が現場みたいです。特徴は「土地を借りる交渉、金借りる交渉、お客も探していくこと」など、入り口から出口まですべてワンストップでしていることです。マンションも行いので、リピーターも多い。口コミの世界で。200坪までの建坪の建築が多い。独自にはリノベーションを古いビルを買って改造をやっている。ここ太陽光増えてきている。一番多いのは、高機密・高断熱の建築をずっと続けている。毎年平均13億変わらず。下請けなし、建設には自分ところで設計から完成まで、班をつくって全部自分とこの社員でしていること。立て替えがほとんどの仕事になっている。15年前に方針をつくって、地図内の1キロ範囲でNO1になろうと取り組んでいる、この地域での需要を拾っていく努力をした。今でも、網戸のはりかえや、水道パッキンの取り換えまでしている。この500円とかの仕事でも積み重なると毎年2億円以上ある。建て替えの案件は10年かかるものもあるが、2〜3年がかりが多い。鉄骨壊しての依頼も多い、「立て直すからこい」という仕事の依頼が多い、前にたてた建物の満足があるから声がかかる。それは従業員に掛け持ちさせない、リフォームも直に電話、思ったよりよくつくっていることによると思っている。IT化の力もすごく、利益だす仕組みになっている、1年前から現場もデーターを見せて、きっちり原価認識されてきた。他の事業には手を出さない。自社では前から100年持つよといっている。阪神大震災が考えるきっかけだった。下部構造に強い家が大事と思っていたので、筋交い留め具ないのが普通からあるものにして、プレハブに負けてたまるかと取り組んだ。つくるを主眼にしたらだめ。顧客の立場にたって倉庫に荷物もあずかっている。都会はコストかかる、サービスできないのは淘汰される。顧客のこと考える社員つくること。建築やでなく「満足さと便利さ売る会社」を30年前から打ち出し実行している成果がでている。(2009年11月取材から)
わが社の経営ビジョンは「私達は日本一“ありがとう”が溢れる、親切な企業を目指し、且つ、全社員の物心両面の幸せを追求する」です。そして新規部門に参入しました。ビルメンテナンス部がバブル崩壊から、毎年5%の値下げが3年続きました。利益のほとんどが無くなります。その中で、新市場、新サービスを何とかできないかと考えニュービジネスの飲食業に突入しました。最初に、「牛角」を始めました。アメリカのBSEで壊滅状態になり、幸い「土間土間」が上手くいき、しかし、利益はあまり出ません。次に「お好み屋さん」をやったのですが、これでは赤になると思い「ちゃんこ鍋」に変更しました。しかし、これも失敗しました。「2回失敗したので原因は分かっている、次は失敗しない」と、前の店を閉めた4ヵ月後に「もつ鍋屋」をオープンしました。これが、2回の失敗を教訓に当たりました。本業も新規サービス、新規商品を作らない状況で実行する段階となりました。ビルメンテナンスとはBtoBの仕事で、値下げを要求されると、ある程度飲まざるを得ません。売上げが、一社一社大きいので、無くなると困ることもあり、非常に悔しい思いをしました。なんとかエンドユーザーにつなげられないかと、販売チャンネルを変えBtoCの仕事を模索し、掃除のノウハウでメイドサービスに参入しました。個人のお客様はわがままで大変ですが、飲食業で多くのお客様からクレームをいただき、どんどん受け入れたことからエンドユーザーのサービスの精神をビルメンテナンスとは違う部分で培いました。当社は、ビルメンテナンスの社員も飲食の手伝いに行くので、そこでサービスの本質、お客様満足のCSを肌で感じたのではないかと思います。メイドサービスを設けてBtoCに移行しようと感じました。その後も、壁紙を洗う技術の特許を持っている企業と契約しました。それも4年目になりますが、結構な売上げがあります。対象は空室のワンルームマンションや寮です。それが評判を呼び非常に好調です。何より、これはビルメンテナンスとの隙間にできます。平日と土日の車の稼働率が狭まりました。ここでは、新たな社員を入れていないのでまるまる利益につながりました。一番大事なのは「現場力」です。とにかく飲食は現場がおかしいとすぐに売上げが下がり、現場が良いと不況でも売上げは落ちません。社長力、管理力、現場力の「三位一体」の経営でないといけないのです。ですから、幹部も経営指針成文化セミナーへ参加してもらい、社内でもいろいろなツールを使い勉強会を行っています。(2009年7月東京での全国総会から)
同社は賃貸住宅の共用スペースに特化した「清掃管理会社」です。業界がビル管理からマンション管理へと大きく変化するなか、下請け企業である同社も分譲マンション清掃の仕事に参入し品質が良いと評判に。その後 賃貸マンションの清掃事情、特に予算が非常に少なく管理に困っている事に気づき賃貸マンションの清掃に特化を決意します。賃貸マンションへの進出では単価が低いが、相反して清掃への期待は大きい。同社独自の清掃基準を確立。「管理とはその建物において隅々まで手入れが行き届いていることを利用者に示す。それがうちの目指す管理の品質基準である」と定め、社員やアルバイトにまで徹底。その基準にもとづき、徹底した提案型の掃除を展開するところが他社との大きな差別化です。同友会の経営指針セミナーに参加し経営理念、基本方針、社員の行動指針を作りました。そこでは「地域貢献型企業」を打ち出しました。売上げのための地域貢献から本当に地域密着型の仕事へと転換、どの現場でも近隣清掃を実行。同社の強みは、お客様から絶賛されるまでサービスの手をゆるめないこと。住人が「申し訳ないから、そこまでやらなくていいよ」と言われるくらい徹底。そう言われることが社員一同自信に。徹底的に掃除をすることが、大家さん、住人、管理会社の評価を上げ、結果的に次の仕事へつながります。業界で手間ばかりで仕事にならないよというものが、実は見方を変えると大きな仕事につながっているのです。
同社は、「作業も手伝う運転手付きレンタルトラック」という切り口で、時間制の運搬サービスという国内初の業態を手がけた会社です。山口社長は19歳で函館から上京し大手運送会社で経験を積んだ後、25歳で独立開業。順調に成長していたところ、01年大口取引先の仕事がなくなり、売上が8割ダウン。どん底を味わいながらもなんとか雇用は守りました。その苦い経験から「脱・下請け」をめざし、今のハーツが生まれ変わりました。2006年第二創業の柱にしたのは「自社ブランド」の運転手付きレンタルトラック『レントラ便』。経営革新支援法の承認を受けました。『エコ・ユウセン』、『The・定期便』など1サービスに1ホームページ立ち上げ、インターネットを積極的に使った営業活動を展開し、ブランドの確立をめざしています。ブランドとしてお客様の信頼を得るためには、お客様が求める情報を提供し、安心でしていただくことが基本。「グリーン経営認証」「Gマーク」取得など、環境対策も積極的に行うことで信頼につながる取り組みを行い、発信しています。現在は、従来の下請け業務より、「レントラ便」の売上が柱になり、関東はもとより東海、関西地区でもサービス展開をしています。お客様に荷物と一緒にハートをお届けしたい・・・これが少数精鋭のハーツの精神といいます。
同社はソフト開発の会社です。バブル崩壊で仕事が激減したときに社員の頑張りで経営がつながりました。その時「この社員を大事にしたい」、「不況はまたきっと来る。次の不況に備えた経営をする」と決意しました。今の不況はバブル崩壊時のリベンジと考えます。社是は「自主・独立」、戦略は「無借金経営、分社化と新規顧客開拓、同業他社とのコラボレーション」。すでに5社の分社を完了。システムクォートは40数名の会社ですが、分社した5社合計では180名、売上高は20億円弱の規模です。同社には営業マンはいません、社長のトップ営業です。新規顧客の開拓は自社のナンバーワンの技術者を投入します。逆にそうしなければ新規顧客開拓はできません。会社の戦略として分社化を掲げていますので、新卒採用時にはこの自社の戦略や取り組みについて語っています。リーダーシップは経験から培われるもので、新入社員はすぐに社内の委員会の委員長にさせ出番をつくり、中途採用者はすぐにグループ長にするなどの取り組みを通じ、早くから様々な経験をさせることを大切にしています。経営者の役割は「会社を発展させること」と「事業を継続させること」と考えています。
同社は、自動車や航空機、ロボットや産業機器、家電製品、医療機器や各種システム機器などのエレクトロニクスクス製品で安全性、信頼性の確保に不可欠な電気的雑音・電磁環境試験を行う機器(=EMC試験・測定機器)を開発・製造する国内で唯一の専門メーカーです。
このような電磁環境試験は国際的にも法的な規制が進んでいて、国内外市場でバッティングする競合他社はヨーロッパ中心に4、5社あるものの、日本と韓国での市場シェアはトップです。電磁環境対策に対する国際的な法規制(IEC=国際電気標準規格)が強化される中で国際的にビジネスを展開する大企業は積極的に設備投資を行い、自社で電磁環境試験ができる体制を作ってきました。しかし中堅中小企業では高額な設備投資、人的投資が出来ずに、開発製品の市場投入に必要な試験が十分にできない状況に苦しんでいます。同社は、このようなメーカーに対してEMC専門技術者と設備を備えたテストラボを船橋に開設して受託試験と海外取引で必要なCEマーキング取得支援サービスを行っています。
一方、身近な電子機器やビル制御システムやエレベータ、原子力発電所や交通・通信、
制御システムなどが電気的雑音によって誤動作する事態が発生しています。同社はこれに
着目し、数年前に、誤動作の原因を突き止め、解決策を提案するコンサルティングの事業
を立ち上げましたが、これはコンサルティング料を得にくいことから事業化を中断してい
ます。
バブル崩壊以降は顧客先の製造拠点が中国や東南アジアに移り、さらにリーマンショック以後、日本の製造業は完全に冷え込んで大企業から中小製造業まで全般に設備機器の購入は激減しています。一方、中国市場ではヨーロッパ勢はすでに進出しており、同社は大きく出遅れました。また、中国国内では性能は劣るものの競合他社が数社出現しています。しかしそんな状況にありながら、同社の海外売上は中国向けを中心に比率はもとより、金額も年々拡大してきました。今後は国内よりも中国やアジア地域でのシェア拡大をしない限り会社の成長は望めず、生き残りさえ難しいのは明らかです。
同社はさらに東南アジア地域を主に海外販売を強化する方針です。そのためにはこれらのターゲットとする市場で競争力ある商品開発と海外メンテナンス体制の整備、販売ルートの開発・強化などの課題を克服しなければなりません。同社は昨年、インドとロシアで販売代理店を開拓して現地での営業研修を行いました。また1月に台湾、2月に韓国で開発や品質管理関係の技術者を対象とした技術セミナーを実施し、3月には中国の2都市で同様のセミナーを計画しています。海外の展示会にも社員を派遣して情報収集にも力を入れ始めました。このような活動と併行して、同社は他社との協力協働関係構築、人材の補強・配置・育成などを思い切って進めることで展望を切り開こうとしています。
作るための中国進出 1994年− 私は最初にものづくりから始めましたが、いつか中国で売りたいと思っていました。1997年、上海十条電子有限公司の設立です。独資で会社を作りました。さて、中国で売ろうと考えてはじめにやったのが、委託生産していたソフトウエア盗用防止器です。中国は違法コピー天国ですから、巨大な商機だと思いましたが失敗しました。中国で売りたい、日本で売れるならここでも売れるに違いないと考えたのが私の場合、間違いだったのです。さらに、競合、販売ルート、人の問題にぶつかりました。競合相手は人脈・ルートを使って、中国の国家機関を販売代理店にしていました。大した機関ではないのですが、一応国家というお墨付きがあるわけです。ですから次にコンピュータセキュリティ用の暗号製品を売ろうとした時、今度は代理店をちゃんと決めました。北京の代理店を通して人民解放軍に1,000台販売しました。人民解放軍に売った実績を持っていたので、後はセールストークしやすくなりました。しかし残念ながらこれも失敗しました。何故かというと今度は人の問題でした。当時の営業部長が待遇の改善を求めてきました。まだ営業利益が十分でなく断りました。そうしたら彼は辞めてしまいました。今販売しているのは、マルチメディア映像機器です。これは最初から日本でも中国でも売っていましたが、中国で販売代理店を見つけ、今ようやく売れつつあります。といっても中国国内の売り上げが大体200〜300万元の間で推移していたのが、今年は400万元になり、来年はようやく1,000万元の展望が見えてきたところです。上海のオフィスビルは豪華な会議室がウリで、そこにうちの製品が入っています。一度辞めた営業部長がある時会社へ来て、もう一度自分を雇ったら売ると言ってきました。でも、また雇いました。今でも営業部長をしています。販路は、こちらでいくつかの会社にうちの製品の独占販売権を渡すから、年間このくらい売ってくれないかという交渉をしました。その営業部長に私を客先に連れて行くよう言いました。私は総経理、いわゆるオーナー社長ですが、営業マンは社長をお客のところへ連れて行きたがりません。このお客は俺の客、社長の客ではない、という意識なのです。そういう社会なのです。ちなみにアメリカもそうです。そういう社会で、客先に私を連れて行け、契約書には誰が名前書くんだ、向こうの社長に会って握手しなければ俺はサインしないぞ、と言って連れて行かせました。会って食事をして向こうの社長と仲良くなります。とはいえ、一緒にビジネスを重ねるにつれ、多少のトラブルを一緒に解決していくにつれ、関係はどんどん深まっていって、最後は「義兄弟の杯どう」と言うわけです。中国人が義理に厚くないというのは大きな間違いです。正しくは最初から厚くはないということです。そうやってオーナー社長、あるいは日本現地法人の社長がちゃんと販売代理店の社長、社長のほかに董事長がいたらその人にも人間関係を作るわけです。これでようやく販売ルートが自分につながります。これは現地の営業部長を排除することにはならない。ただし、客先に行ったら絶対に値段や納期の話はしない。それは彼の仕事を取ることになります。今後の我が社の方針は中国政府がターゲットです。バブルが崩壊しても中国政府は黙って見ているわけはありません。政府はまだお金があるので、いろんな対策をすると思います。それは予算を使うという形でハコモノを作ったり、ITもやると言っているから、わが社の製品も沢山お買い上げいただけるに違いないと踏んでいます。日本でなければ作れないものは日本で作り、それ以外のものは広州から買ってきて、上海でそれらを上手く仕立て上げ、お客様と一緒に政府にお買い上げいただきたいと考えています。今は金属加工は素材という市況商品なので日本だけ高いわけではありません。ですから今は多少の価格差こそあれ、どこで買ってもほとんど同じです。それなら生産性さえ上げれば日本で作る原価と、中国で造る原価がそれほどは違わない状況になる可能性が出てきます。日本の眼鏡小売店で使っていただいているわが社の映像機器も、日本でしか完成させられませんでした。(2010年2月京都での全研から)