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設立80年、 タイガー計算器から 運送管理システム開発へ 100年企業に向けてのチャレンジは続く 株式会社タイガー 竹添 幸男 氏 (渋谷支部)

voice_202102.jpg株式会社タイガー (渋谷支部)
代表取締役社長
竹添幸男 氏

住  所:東京都千代田区神田猿楽町2-1-14 A&X ビル
創  業:1923 年
設  立:1940 年
資本金:9000 万円
事業内容:運輸・物流システムの開発、販売及び保守  
社員数:70 名

 

「タイガー計算器」をご存じだろうか。電子式卓上計算機(電卓)以前に活躍した日本の標準計算機の代名詞で、1960年代まで一世を風靡したのがその「タイガー計算器」である。この国産初の手動式計算器メーカーが80年の歴史を持つ株式会社タイガーである。現在の社長は竹添幸男さん(渋谷支部)、現在は運輸・物流システムの開発へと事業転換を果たしている。
 竹添さんは、愛知県に生まれ、中学校、高校時代の多感な時期は香川県で過ごした。慶応義塾大学の工学部で統計学(渋滞学等)を学んでいた。大学卒業後は、保谷硝子(現HOYA)に入社し、工場勤務を希望したが営業職に就かされた。いい経験になったが、大きな組織の中で自分の位置がわからず、まるで将棋の歩のように感じて、先も見えないと思い二七歳で退職した。大企業よりは中小企業の会社で働きたいと思った。
 ㈱タイガーへの入社のきっかけは、義父の知人である社長を紹介されたことで、1981年タイガー計算器販売(現㈱タイガー)に営業職で入社した。入社したとき、大企業と違ってのんびりしていることにびっくりした。定時を過ぎるとあちこちで酒盛りが始まった。「前の会社ではあり得ない光景でしたが、私もすぐにどっぷりと浸かってしまって…」となつかしそうに苦笑い。
 時代は手回し計算器から安くて小さい電卓の時代へと変わり、タイガー計算器の売上は減少し、販売は1970年で終了した。業績悪化の中で色々とチャレンジしたが尻すぼみ状態だった。その中で運輸業向け運送管理システムの開発が軌道に乗り、全国販売することになった。カシオオフィスコンピュータ(オフコン)にこのシステムを入れて北海道の運送会社に納めたことがきっかけである。
 竹添さんは、取締役東京第一営業部長、大阪支店長、営業本部長を経て、2001年に代表取締役に就任した。五代目の社長(サラリーマン社長としては二代目)である。
 創業家の社長が会長になり自分の上司が初代サラリーマン社長になったが、赤字が続いていた。会長が資産家だったこともあり、個人保証で借り入れができた。銀行は事業より担保があればどんどん融資をしてくれた時代だった。しかし、信用のある会長が突然亡くなり、自信をなくした社長は悩んだ末「竹添君頼む」と言った。断り切れず竹添さんは創業家の個人保証まで引き継ぎ社長に就任した。個人保証について当時は何も知らなかったそうだ。同友会にまだ入会前だったため、予備知識もなかった。
 社長に就任してからの苦労は、資金繰りの毎日、役員・課長以上給与カットや遅配もあり、信用保証協会に直接交渉して何とか借入を実現。しかし、営業赤字が一億円となりメインバンクから赤字の分の人件費削減という苦渋の選択を迫られた。リストラを実行したのは大きなトラウマになって、その後安定してからの増員がしばらくできなかったそうである。
 やがて転機が訪れた。バブル当時は八億円借入(担保価値五億円)の大阪・福岡のビルが銀行評価額より高額での売却に成功し、不動産担保分の借入金がほぼ一掃できたのだ。リストラ後社内の危機感が逆にエネルギーになり、リストラ前と変わらない売上が確保でき資金繰りが安定した。昨年は一気に13名の採用に踏み切ることができた。そして2017年7月には「はばたく中小企業・小規模事業者300社」を受賞したことも社員のモチベーションの上昇につながり、今年で創業九七年、設立80周年を迎えた。経営で一番大切なことは「あきらめずにやり続けることが大切」と語る。100年企業に向けて期待は高まる。
 同友会には2003年、当時の渋谷支部長㈱ヘキサードの故板橋和彦さんである。「板橋さんとは仕事の面でも大変な時にはお互いに助け合いました」と語る。現在は政策渉外部で活躍している。
 竹添さんの趣味は釣り。「最近は息子とボートに乗って駿河湾で鯛や鰆を釣るのが楽しみで」と笑顔が素敵に輝いた。

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