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中小企業家群像

人をその気にさせる コンピュータ付きブルドーザー  ~齋藤マジックで社員に夢を~
三和重機株式会社代表取締役 齋藤 和久 氏(江戸川支部)

三和重機株式会社(江戸川支部)
代表取締役
齋藤 和久 氏
江戸川区南葛西3-24-7 佐藤ビル2F
創業 1991 年3 月
現社名に商号変更 2014 年9 月
資本金 1000 万円
社員数 30 名
業務内容 各種クレーン車リース業
昭和の宰相田中角栄氏に「コンピュータ付きブルドーザー」という別称があったことをご存じだろうか。齋藤和久さんのインタビュー後の印象はまさにそれであった。
齋藤さんは日本大学の付属高校から日大進学に向けての学内統一テストを受けず、卒業後村田簿記学校に入学する。そして、二年間で日商簿記一級、珠算一級の資格を取り、当時新興企業の佐川急便に入社、一九歳でオペレーションリーダーになり、二〇歳で一流のセールスドライバーになった。
齋藤さんはあえてこの経歴を選択した。
理由は、社員九〇人、年商一四億の家業、トラック運送会社を受け継ぐため。二十三歳の時、実家に戻り会社を手伝う。配車を含む労務管理を担当し、後に専務として経理も担当するようになる。しかし平成に入り風向きが変わる。バブルの終焉。運送協同組合における流通センター開発計画が頓挫。その処理のために平成七年、氏が三十三歳の時、十一億の負債を背負って会社の整理、破産を決断する。当時大手町の国税局に六カ月間通い続けて交渉にあたったという。
別会社に重機の会社を持っていた。奥さんをその会社の代表にして再起をはかることにする。三和重機有限会社(当時)である。道義的債務を返済しながら、持ち前のバイタリティで緻密に計数管理をして、大手ゼネコンや同業者から仕事を引き出していった。もちろん根っからの明るさと言動が、相手の信頼・信用を得る力があったからでもある。平成一八年、社長に就任した。
三和重機の主な業務は、建築等の重量部材をオペレーターがクレーンを使って移動させること。稼働できる重機の数と駐車場、そしてそのオペレーター人数といった規模が、受注に直結する。現在一台二〇〇〇万円から五〇〇〇万円程の車輛を二八台ほど所有し、フル回転している。それでも「都心は特に敷地内のクレーン作業ができなくなっているので、衰退産業だと考えています」と冷静に語る。第二第三の事業にも着手している。「それも同友会の皆さんが、業務の柱を増やしていることに刺激を受けて」とのこと。
会社経営で一番大切にしていることはと聞くと、「会社を絶対に潰してはいけない。経営者の役目は雇用を守ること」と。父君が創業した運送会社の倒産、その苦い経験から出た深い言葉である。二人の女子社員さんは「社長は優しく、楽しい人です」と微笑んだ。
「メガバンクは、一〇億以上の会社しか相手にしていない」等、氏の経験から出る言葉には経験からの重みがある。そのため、同友会の仲間から、氏の言葉を集めて、「日めくりカレンダー」を作ろうという話もあるらしい。支部長時代、周りの皆を「ソノ気」にさせるため、懇親会で艶っぽい話もたくさんした。「女性にモテない経営者は社員にもモテない」。一緒にやっていくと楽しい人だろう。22研の実行委員長としても、「一人の力は大したことはできない」と言いながら、多くの仲間の力を結集して大成功に導いた。「次の一歩を踏み出す前に、十歩先を考えている」と言葉に説得力がある。
この四月から組織部長の役に就く。インタビューの中でいろいろな話を伺ったが、それはこれから発信される。噛めば噛むほど味が出る、大注目の「コンピュータ付き重機屋」さんのこれからの展開に目が離せない。
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