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中小企業家群像

封印して中身を守る ~缶パーツとその技術を通じて社会の安全に貢献~
株式会社ヒロハマ 広浜 泰久 氏(墨田支部)

株式会社ヒロハマ(墨田支部)

代表取締役会長
広浜 泰久 氏
東京都墨田区石原2 丁目28 番11 号
創業 1947 年
設立 1951 年
資本金 6250 万円
社員数 135 名
業務内容 缶パーツ一式(キャップ・口金・手環・押え金等)、その他付属品一式・関連機器
グループ会社 ㈱ヒロプラス、㈱サブヒロハマコーポレーション、㈱P・Sヒロハマ八街工場、㈱P・Sヒロハマ勝央工場、㈱アルトップ、ヒロハマインディア、ヒロハマセイロン

本年7月に鋤柄修氏のあとを引き継ぎ、中同協会長に就任された、㈱ヒロハマ代表取締役会長広浜泰久氏のインタビューに本社を訪ねた。

㈱ヒロハマは、父君である広浜重治氏が昭和22年に一斗缶などの缶パーツ(キャップ、手環)を製缶メーカー、食品メーカー向けに生産した広浜製作所が始まり。

泰久さんは昭和26年長男として生まれる。住居と工場が同敷地にあり、社員と寝食を共にする生活をしていた。そのため小さい頃から、仕事場を見ており、父の仕事を継ぐということに抵抗はなかったとのこと。創業者は、泰久さんの前では決して愚痴をこぼさなかったという。お母様やお姉様の前では弱みも見せていたらしい。後継者である泰久さんの前では「いつも泰然とした背中を見せていた」と素敵なお話を伺えた。私も2代目。「同じだ」と、在りし日の父を思い出した。愚痴や弱音ばかりを見聞きしていれば継ぐ意欲がなくなるように思う。

重治氏は、下請けから脱却するという強い意志を持って製缶メーカーごとに異なっていた缶パーツのJIS規格化を働きかけて、昭和35年頃実現させる。それにより、多くの種類から、規格に合う製品を大量に生産できるようになった。高度成長期、オートメーション化の波にも合っていた。その結果今では市場の6割を制するトップメーカーに成長している。そうなった今でも技術開発に余念がない。

現社長はお姉様のご主人である本多三郎氏。泰久さんの長男庄一郎氏も常務となって経営に参加している。

泰久さんと同友会との出合いは、氏が専務の時代、平成2年に千葉工場に、千葉同友会からファックスDMが届いたのがきっかけである。早速事務局に問い合わせをして、市川浦安支部に入会した。支部は、サイゼリヤの正垣泰彦氏を中心に勉強する空気が満々で、レベルの高さを感じた。「会社は公器」であり、会社は働いている人達の生涯設計を担うものと再確認した。中同協元会長の故赤石義博さんや日本教育学会元会長の大田堯先生を始め多くの先輩方からの学びを大切に実践し続けた。

「実は支部長を経験していないんですよ」と。千葉同友会の労働委員会に参加した時、その日が前委員長と現委員長そして泰久さん3名だけで、「今回は次の委員長を決める日なので…」ということで、副委員長と同時に理事になり、常任を経て千葉同友会の代表理事となった。それから全国の会合に出るようになった。

「鋤柄さんはどういう方でしたか」との問いに「リーダーの鑑のような人。機構改革をどんどん推し進めていった人です」と。

地区長時代には、全会員を廻ったという逸話も。難しい話になると率先して「オレが行くよ」と言って問題解決していったそうだ。「広浜さんはどのように運営していきますか」と問うと「中山幹事長としっかり役割分担して、事務局の力を一番いい形で発揮してもらう」とのこと。

趣味は卓球だそうだ。全国大会のひとつである東京選手権65歳の部で優勝経験もあり、全日本マスターズにも参加している。卓球の話になると笑

顔がより輝く。試合中の雄姿も拝見してみたいと思った。

全国の会合で、まとめ発言などをよく拝聴するが、「今日の話を3つポイントでまとめると…」と非常に論理的に話される印象が強い。物事を深く考え、わかり易く説明し、全国の同友会運動を牽引するにふさわしい素晴らしいリーダーにお会いすることができた。
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