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中小企業家群像

キクことから、はじめます ~創業から半世紀 お客様の「心」を聴く創業者の精神を受け継いで~
株式会社文寿堂 松本 太郎 氏(中野支部)

株式会社文寿堂(中野支部)
代表取締役
松本 太郎 氏
東京都練馬区豊玉北1-23-4
設立 1961 年
資本金 1000 万円
社員数 14 名
業務内容 印刷物の企画・デザイン・制作、電子書籍の制作、広告・宣伝、印刷・製本・梱包・発送、オフィスデザイン( デザイン・レイアウト・施工)、電話・LAN工事等のインフラ整備

㈱文寿堂は、創業者松本千寿男(ちずお)氏がホテル勤務ののち、中野の小学校の前にあったこともあり、食品のように腐らないものがよいと文具店を昭和32年に開いたことに始まる。その後継者となる現中野支部長の松本太郎さんを訪ねた。先代は、待ちの商いでは物足りないと、「ゼムクリップ一本から届けます」と中野・新宿界隈を行商して回った。その中で、専門業種向けに特殊な様式類の印刷を始める。日本で初めて、不動産業者向け手帳を発売するなど大変なアイデアマンでもあった。千寿男氏は東京同友会共同求人の基礎をつくった人物のおひとりで、共同求人委員長、副代表を歴任している。

太郎さんは「継がなくていい」と母親からも言われていたので新潟の短大に進学、好きなバイクや車の整備ができる資格を取る。就職試験で「数学の問題が全く解けなくて、暇つぶしにカレーの作り方の手順を書きました」。(笑)

すぐに学校に呼び出され、「どういう了見だ」と厳重注意。しかし、なぜか採用通知をもらった。晴れてツナギを着て、某自動車メーカーのメカニックとして黙々と車と向き合う日々を送る。

しかし、その職場では幅をきかせている営業によるいじめがあった。太郎さん自身もスパナを投げ付けられるなど理不尽な仕打ちを受けた。とうとう我慢できなくなって辞表を書き、相手が倉庫に入ったところを狙い「ボッコボコにしてやりました」と。実際は、その営業の所業は社内でも問題になっていたようで、そのことでのお咎めはなかったが、3月末でその職場を辞めた。89年4月、腰掛のつもりで文寿堂に入社。同友会新入社員研修に参加。先代社長の講義を受ける。

本気になったきっかけは、ある上司が売上に悩み「重要顧客の担当をはずしてくれないと辞める」と言われ、太郎さんがその顧客を引き受けることから。本気で頑張ったが、なかなか売上が上がらない。先輩の中には「売上を3倍にしたら土下座してやるよ」などと言われ、太郎さんの負けん気に火がついた。2年程で目標を達成。その日「約束を守れ」と言ったものの、大人気ないと先代から咎められた。

太郎さんが24歳の時、先代が急性出血膵炎で倒れ、8月20日、帰らぬ人となる。享年63歳。若すぎる死である。葬儀を終えて社内を見ると母方の親族役員の態度やコントロールがきかない問題社員のことなど、対応することは途方もなくあった。しかし「その時支えてくれたのが、同期の社員とすぐ下の後輩達。社長就任時の大きな不安・課題を共に向き合ってくれた仲間がいたから今があります」と。25年間その一つ一つを解決してきた。「当初は、オヤジの亡霊と戦っていましたが、智恵を出し仲間と共に解決していくことで、皆で成長できたのだと思います」と。真の意味で、太郎さんの会社になったのだと感じた。
「共同求人の先輩達には、本当に勉強させてもらいました」と語る。当時の沖縄求人では、小暮恭一さん(台東支部)、町田肇さん(中野支部)達に、たくさんの経験を積ませてもらった。「経営者としても未熟で、同友会の何たるかもわからない若造に…。私にとっては皆さんオヤジのような存在です」と。

2017年から中野支部長として「僕はナンバーツーが性に合っているんですけどね」と言いながら、うまく支部をリードしている。茶目っ気のあるあの笑顔で、会社も支部も上手にハンドルを切っている。

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