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中小企業家群像

未来環境を創る ~社会インフラを支える技術で~
メトロ設計株式会社 小林 一雄 氏(台東支部)

メトロ設計株式会社(台東支部)
代表取締役
小林 一雄 氏
所在地:台東区下谷1-11-15
設  立:1964 年
資本金:8,500 万円
事業内容:地下鉄を主とした鉄道関連施設、上下水道、無電柱化などの地下インフラ整備の設計、維持管理調査、データベースの構築等、シェアオフィス、イベントスペースなどの不動産賃

社員数:21 名

江戸情緒を残す朝顔市で知られた「恐れ入谷の鬼子母神」から昭和通りに出ると、メトロ設計㈱所有のデザイン性に富んだ九階建てのビル「ソレイユ入谷」がある。今回は緊急事態宣言の最中となり、Zoomを使った取材となった。

会社の歴史は、昭和39年東京オリンピックの年に、小林一雄さんの祖父にあたる深井弥一氏が、営団地下鉄を定年退職後、仲間と創業したことに始まる。当時、東京は地下鉄等公共インフラの建設案件が多く、ベテラン技術者が不足しており若い技術者を育てる目的もあった。小林さんは平成20年に五代目の社長に就任。

小さい頃にドラえもんやガンダムを見てエンジニアを目指す。「未来や宇宙モノのアニメが大好きでした。私のルーツです。中学生の時に祖父にパソコンを買ってもらい会社の給与計算プログラムを作ったり、高校、大学時代はCADオペレーターのアルバイトをしていました」と語る。機械工学科卒業後、自動車会社でエンジン設計技術者として3DCADを使った経験を経て、平成10年にメトロ設計に入社する。情報システム部を設立して、社内LANや土木計算プログラムなどを手がけた。

四代目社長の父秀司氏が平成12年に現在の本社ビルを購入した。国の建設投資が年々減少していく中、メトロ設計は九割を公共事業に依存していた。時代もダンピングが横行する市場となり、公共事業が半分に減った。そして、一階から五階までのテナントであった専門学校が倒産し、一気にビル購入資金の返済に苦労することになる。

空きフロアをどう埋めるかを検討し、大学院時代の同級生の若山泰親氏(ブレイクポイント㈱)と創業支援のシェアオフィス「ベンチャーステージ上野」を立ち上げる。他にも新規事業をいくつか手掛けたが、なかなか黒字にならず銀行と交渉しながら、「給料の遅配だけは避けたい」と父と自分の自宅も売却した。事務所のある自社ビルの売却も考えたが様々な理由で買い手がつかないと言われ、ビル経営をする覚悟を決め、補助金を活用して省エネ改修や耐震補強をした。空きスペースの活用を模索中、今村浩之氏(まちづくり会社ドラマチック代表)と出会い、二階にシェアアトリエ、一階にイベントスペースを開設する。様々なイベントが開催される中、参加した人が「自分も企画したい」を応援するスタイルが事業になった。地域のつながりも濃くなり、地域行事にも社員ぐるみで参加するようになる。

地域に根差した活動をすることで、そのエリアが活性化し顔の見える協力しあえる仲間が増えていった。「『ITならシリコンバレーで起業、モノづくりならひがし東京(East Tokyo)で起業を!』と言われるエリアにしたいですね」と思いは熱い。町工場やベンチャー企業とのつながりができた中で、今後の自社の業務で使うロボット化、IT化の技術開発のパートナーを見つけることもできた。3Dデータを活用した維持管理など可能性は大きい。

同友会入会のきっかけは、本業の設計部門で「社長がどうしたいのかが見えない」と中途採用した優秀な若手社員の退職が続き、悩んでいたことだった。シェアアトリエの開設時にお世話になった台東デザイナーズビレッジの鈴木村長に台東支部の例会に誘われて参加したことをきっかけに入会し、共同求人での新卒採用を始め、三八期の経営指針成文化セミナーで経営指針を作成した。地銀二行にそれを見せたところ債務の一本化に成功した。「同友会が無かったらこんな結果にはなっていない」と語る。

取材時は社員の八割はリモートワークだった。「コロナ禍で事業のあり方は変わるでしょう。どう収益を生んでいくかを考えていなかければと思っています。昨年100年ビジョンをつくりました。未来環境は地上に限らず地中、海底、宇宙空間へと広がるでしょう。メトロ設計は『未来環境を創る仲間』の実現に向けて『技術を未来につなげる仲間』を増やしていきたいと思っています」と語る、ドライブ大好き、映画大好きの下町っ子は、地域にイノベーションを起こし続ける。

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