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中小企業家群像

ものづくりをお洒落に楽しく参画型経営で「幸せ創造企業」を目指す フジコン株式会社
大島 右京 氏(大田支部)

フジコン株式会社(大田支部)
代表取締役
大島 右京 氏
住  所:(本社)東京都大田区久が原3-32-4
    (山梨事業所)山梨県南都留郡西桂町下暮地588-1
設  立:1966 年 
資本金:5000万円
事業内容:中継部品(端子盤、コネクタンシ等)の専門メーカー
社員数:79名

江戸時代に旗本として活躍した「加治田大嶋家」の11代目として生まれ、先祖から名前を襲名した大島右京さんは㈱フジコンの2代目社長である。

フジコン㈱は東京都最大「工場の街」と「高級住宅地」という二つの顔をもっている大田区に本社がある。1966年部品メーカーとして父君大島要二氏が創業し、今年で55期を迎える。社名の由来は、富士山の「フジ」、コネクト・つなぐの「コン」、日本一の「つなぐ会社」を目指すという創業者の思いからつけた。当時カタカタの社名は珍しく、将来性を見据えて創業者が命名したそうである。

大島さんは、土日も懸命に働きながら家族のつながりも大切にしてくれた父親の背中を見て育った。大学卒業後、装置メーカーに2年間就職した後フジコンに入社。11年目に山梨工場長に任命された。当時は企業理念もビジョンもなく、荒れていた工場を立て直し、現場経験を積み、社員と苦労を共有しながら信頼を獲得した山梨での経験が自分を大きく成長させたと当時を振り返る。幹部社員とは、食事会などを開きコミュニケーションを大切にした。そして、自分の思いを幹部に伝え、時間をかけて人間関係を築いた。

2013年に「経営指針成文化セミナー」を受講し幹部を巻き込んだ参画型経営を始動した。その後も社長交代の準備をし、今の信頼関係をつくったという。

山梨工場から本社に戻るまで2年の予定が4年半かかってしまった。元々心の弱さを感じていたので始めたのがボクシングだった。元チャンピオンの方々の個人指導による経営者向けに開発された「闘争心プログラム」によるメンタル強化を始めた。ここで学んだのは「闘争心」だけではなく「今あることすべてに感謝する」ことだった。本社の会議室は、ボクシングジム風にしつらえてあり「いつでも戦えるようになっています」と笑う。大島さんの自信はここで鍛えられ、磨かれたのだ。

これで社長交代できると思ったが、父要二さん(現会長)より「専務の信頼を獲得しろ」という課題を突き付けられた。それは創業から経理をしている叔母(専務)との35年もの確執が問題として残っていた。ボクシングから学んだ「感謝心」で対話をして、短期間で劇的に人間関係を修復できた。今まで言えなかった叔母への感謝を伝え信頼を獲得することができたのだ。
「今は、とてもいい関係です」と嬉しそうに語る。2015年4月、創業50周年を節目に社長に就任した。

100年企業を目指し「幸せづくり。笑顔づくり。」を企業理念に掲げ、経営コンセプト(概念)に基づいたトップダウンではなく社員、幹部を巻き込む「参画型経営」、社員一人一人の体と心が健康になるような職場環境づくりの「健康経営」(2020年、健康経営優良法人2020認定取得)、社員一人ひとりのスター性を発掘し、価値化しビジネスにつなげる「スター経営」とユニークで魅力的な経営手法が続く。二年前から宇宙ビジネスを始め、ロケットをイメージした「フジコン経営コンセプト図」がとてもわかりやすく印象的である。

東京同友会では中小企業家サミット2021(26研)

※実行委員長で奮闘中。

大切にしていることは、企業ビジョンでもある「人とのご縁、人とのつながりを大切にする」。会長は創業からの名刺(14000枚)を時系列で保管し、取引先・お客様の新聞記事や手帳もすべて保管している。このまめさが100年企業への原動力なのだろう。

いつも素敵にスーツを着こなすセンスの良さ。これは、紛争の続くアフリカ・コンゴで生まれた文化「サプール」を取り入れたことによる。「おシャレをして平和のメッセージを発信する。」これがサプールの精神である。

世界一の「つなぐ会社」へ、100年企業に向けてのゴングが鳴り響く。

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