タイトルアイコン

中小企業家群像

試練が人を育てる ~健康経営で、健康でのびのびと働ける会社に~
株式会社東京すずらん 石川 啓夫 氏(北支部)

株式会社東京すずらん (北支部)
代表取締役
石川 啓夫 氏
設 立:1964年
資本金:6000万円
従業員数:70名
業務内容 :おしぼり・タオル等のレンタル・リース、飲食店向け資材・厨房用品等の販売
本 社:埼玉県蕨市錦町2-3-1

埼玉県蕨市にある東京すずらん。JR埼京線戸田駅からタクシーに乗る。「目的地はどちらですか」「東京すずらん」「わかりました」訪問客がよく利用していることがうかがえる。応接に通されると「ゴーヤとトマトを採ってきました」と汗をふきながらの石川啓夫さん。数年前から敷地内にグリーンカーテンとして栽培していたもの。「土にふれることの大切さを社員にも伝えたくて」と笑った。「何でも質問してください。全部お答えしますよ」という石川さんの言葉から取材が始まった。

㈱東京すずらんは父君が創業したおしぼりレンタルの㈱アールエスエスグループの子会社で、石川さんは2010年(平成22年)に代表取締役に就いている。1990年大学卒業後、就職せず海外を一人で放浪したりして2年間を過ごす。1992年に㈱アールエスエスに平社員から入社し、工場長まで勤め、1997年父が他界したため10億円の借金がある東京すずらんに常務取締役として転籍した。

しかし、問題はお金だけではなかった。会社は、ガラスや壁が壊れ、備品や商品が勝手に持ち出され、近隣とのトラブルも多く警察沙汰もたびたび発生、あやしい人の出入りもあったまさに修羅の国だった。幹部が顔にアザを作り、石川さんもドアを開けるとなぐられるのではという危険さえ感じていた。そこから石川さんの戦いが始まる。緊急事態が続く経営人生の幕開けである。

石川さんの業務改善の日々が続く。工場内外の清掃活動や情報を公開して話し合い信頼関係を構築していった。社員が明るくなり自主性も出てよくなる兆候が見えたがそこに次の緊急事態が起きる。社員の謀反である。当時の社長から「石川が出ていかないなら明日ストライキを実施する」と社員が言っていると言われ、改革の中断を余儀なくされ、ほとんど出勤せずに動向を静観した。一年後復帰の機会が来て、2007年、東京同友会に入会する。

そんな荒波の中、石川さんの考えは少しずつ変わっていく。父君の「一番になれ」の教えで他人との比較や競争に人一倍意識の強かった心が、「欲を捨て正直に生きる」という信念でどんなことにも対応していく気持ちになっていった。「質問には全部回答します」と社員にも伝えている。但し、全部やるということではなく、社員にも自分がどうなりたいか、会社をどうしたいのかという考えを持てと言っている。「発言させると責任感が芽生えます。3年前、自分には強みがないと悟りました。あえて言えば、自分より優秀な人に一緒に働きたいと思ってもらえる人間になれたかなあ」と。

東日本大震災のボランティアを続けた。「お金で換算する生活は常に不満があり不幸を感じます。社員にも無償で働くことの価値を感じてほしい。喜んでくれることは幸せじゃないですか、損したと思いますか?」と社風が少しずつ変わっていくことを実感していった。

社会に適応できない若者の就労にも積極的に取り組んでいる。「だって、私自身が引きこもり経験のある経営者ですよ」と苦笑。彼らは自分よりも社交性があると感じている。そのために、チャンスをたくさん提供したいと考えている。

そしてコロナ禍。売上は半減している。大変な業種として、マスコミ取材が殺到する。当然マイナスイメージの取材となるがその上で新事業に取り組む姿も映してもらっている。私たちも池ノ谷幸枝さんの案内で工場見学をさせてもらい、飲食店のユニフォームや健診会場のスリッパ等の洗濯と、自社の強みを生かした新しい要望への対応の様子を見た。

帰りには新しいロゴ入り東京すずらん特製日本酒と先ほどの野菜を土産にいただいた。「急行の停まる戸田公園駅まで送ります」と数々の試練から学び、正直で誠実な今の石川さんがあることを知った。「おもてなし」に感謝。

戻るボタン
経営を磨きたい 経営の相談をしたい 交流したい 人を採用したい