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中小企業家群像

おいしかった、ありがとう、をいただくために。 本物の海苔を突き詰め続ける。
久保井 宏 氏

株式会社 久保井海苔店
代表取締役
久保井 宏 氏(大田支部)

【会社概要】
住 所 東京都大田区大森東1-8-22
創 業 1820 年(文政3年)
事業概要 贈答用高級焼海苔、味付海苔、業務用寿司海苔の卸販売、及び小売
従業員 11 名
U R L https://kuboinoriten.net/

境目には含まれる物が多い。ふっと現れ、すっと消えていくが、なにかを心に残していく。大きくは時代の節目、身近なものだと会話で話題が変わった際の場の意味合い等。海苔とその歴史もまたしかり。
東京の大森は江戸時代の中頃より海苔の産地として先駆的な役目を果たしてきた。しかし、昭和38年、東京都沿岸における海苔養殖は東京オリンピック開催に伴う海岸線の埋立て事業に依り長い歴史に幕を閉じた。大森に構える久保井海苔店の創業は文政3年(1820 年)である。
「私が中学生くらいの頃までは、ここから200m くらい先には海岸があったんですよ」とインタビュー後、敷地を出た通りで東方を見つめながら語る久保井宏氏。「野球をするとボールが海に入ったりね。それをボートで取りに行くこともありました。小学校の校歌も、東はるか水平線ってね」と蝉の鳴き声を背景に微笑む。
電柱にとまった蝉を見つめ、「蝉は生命のその大半を地中で過ごし、地上での時間はわずか。どっちが蝉の人生なんですかね」。そう、ぽっと言葉をのこした。私たちが日常手に取る海苔も、その元となる海藻がどのように生長するかは実は近年まで解明されていなかった。転機は昭和24年、英国の藻類科学者キャサリン・メアリー・ドリュー・ベイカー女史による『海苔の生活史』の発表だ。海苔の胞子は春先から秋口までの8カ月ほど貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態で生長。そして秋口に貝から飛び出し海中を浮遊するというものであった。そこから日本での学術研究も進み、現在の人工採苗(さいびょう)による養殖が確立された。久保井海苔店は全国産地に足を運び、海藻その物のみならず、自然環境や関わる人などのデータ分析と仮説検証を行って買付け、そして海苔の製造と日々の焼き上げ、販売、卸しまでを一貫して担う。
「このような発見がなされるまで海苔は“運うんぐさ草”と呼ばれていたんですよ」と久保井氏。江戸時代は竹ぼうきのような器具を逆さに海に据え、そこに海藻が偶然に付くというものであった。元禄時代(第五代綱吉)には大森で四角い海苔の形状が発明された。「生類憐みの令」の目が届きづらい大森の地に移った浅草の漁師によって徒手空拳で生み出されたものだ。
享保の改革(第八代吉宗)では日本の風土で育つ植物や農産物が注目され国産が奨励された。これをついで日本らしさが萌芽してきたのが文化文政時代とされる。
また、久保井氏によると我が国では古来より海藻が食されて来たこん跡も見えるという。たとえば701 年に制定された日本の律令『大宝律令』。その租税にあたる租庸調のうちの調では米に代わるものとして海苔も認められていたようだ。「もっとも当時は、岩に生える岩苔とかそういったものだったかもしれませんけどね」。久保井氏の海苔に関する話題は歴史に科学にと小気味よくひろがる。
顕微鏡で撮られた海苔の胞子がモニターに映し出される。きれいに並んだ細胞がわかる。「生長した海藻は一層20〜30ミクロンほど。この海藻を7〜10層重ね合わせて、紙をすくようにすくと200 〜300 ミクロンの一枚の海苔になります」。
ちなみにうま味には動物性のイノシン酸と、植物性のグルタミン酸があり、海苔は植物としては唯一この両方を有す。ゆえに完成された海苔が口に入り、吸湿と同時にそれぞれの細胞壁が破れたとき、溢れ出るそのおいしさは唯一無二のものになりうる。
「本物の海苔、という理想に近づく為に大きな試行錯誤を3回ほどして開発した海苔の二次乾燥機、それはもう会社が傾くか…っていう位でした」と目を細める久保井氏。注目をしたのは海苔の真ん中、いわば10層中5層目の細胞内結合水をいかに乾燥させるか、但しアミノ酸類を変質させずに、であった。その為に研究したのが木材の乾燥法、ここから着想を得て、現在の海苔減圧振動法乾燥機を生み出した。
「何も足さず、何も引かず、ですね」と海苔への想いを嬉しそうに話し、「買付けの話もするなら、明け方までかかりますよ」と笑う。買付けにも同店の本質がある。海苔はトカゲのしっぽのように切り取っても再生するそうだ。葉先から再生するのは十世代ほど。「その中でも私たちは初摘みしか用いていません。全体収穫量の5% です」。
経営で大切にしていることは「良い事はすぐまねる」ことだという。「大田支部の先輩方からたくさんのヒントをいただきました。そしてそれらをまねる。うまくいかないこともありましたけどね」といたずらっぽく笑う。「新しく入ってきた社員さんには海苔についての膨大な情報を覚えてもらうことよりも、まずは会社の文化をよく見てくださいとお願いしています」と穏やかな目線で窓に目を向ける。
そして「私にとってはただただこのひと言」と用意いただいたパンフレットの文言にそっと指を添えてくれた。“海苔の質を落とす様になったら、看板を下ろせ。”
晩夏、響く蝉の声。来る海藻の実りを賛美する。

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