本質的なメッセージを探求し、共有する デザインは人を動かす、と確信して
原子 尚之 氏

有限会社パンデコングラフィックス
代表取締役
原子 尚之 氏(府中・調布支部)
【会社概要】
住 所 東京都調布市布田5-7-10
設 立 1993年
社員数 2名
事業内容 デザイン・CI(会社・商品案内、シンボルマーク、ロゴマーク)、企画・広報
U R L https://pandecon-g.co.jp/
ひとが動く理由、思わずひとが動き出しちゃう理由はよくよく考えてみると不思議だ。背に腹は代えられぬ事情で動くこともあろうが、ワクワクしながら動くときはいつだって、誰だってうれしいものである。美空ひばりさんの名曲に「景気をつけろ!塩まぃておくれ~」という音頭があった。景気の語源は、和歌の余情を盛る、という意味合いを含む。ワクワク、そわそわ、しっとり、景気の付け方にもいろんな表情がある。
東京は武蔵野、調布市はかつて映画産業が栄えた町であった。大映スタジオに日活撮影所。撮影映えする自然環境が整っていたのも理由にあろうが、フィルム現像に必要な水が豊富だったこともその理由にあげられる。また石原裕次郎氏が設立した石原プロモーションがあったほか、ゲゲゲの鬼太郎を生み出した水木しげる氏が50年以上生活した町でもある。現在、府中・調布支部長を務める原子尚之氏も調布市生まれの調布育ち、調布に事務所を構える調布っ子である。
昨年、水木しげるさんの命日11月30日に調布市で行われた「ゲゲゲ忌(き)」には、水木しげるさんゆかりの地を巡るために多くの人が集まった。その景気ある場所の中に、原作漫画に出てくる「妖怪ポスト」を再現したゲゲゲの鬼太郎風の実物郵便ポストがあった。これをデザインしたのが原子氏なのである。「イベント中はもちろんのこと、普段でもこのポストにはファンが集まっているそうで、とてもうれしいです」と微笑む。地元の縁を大切に、調布中心街を景気づける役割を原子氏は担っているのだ。
幼少期より、絵や漫画を描いたり、ものを作ったりするのが好きだったという原子氏。地元高校では美術部に所属をし、専門学校桑沢デザイン研究所へと歩みを進めた。1986 年には現社名のゆかりともなる株式会社パンデコンへ入社。「パンはギリシャ語由来で汎用を意味し、デコンはデザイン・コンサルを縮めたもの。クライアントのCI 構築をサポートしながら、建築、映像、デザインへと落とし込んでいくことが主業務でした」。その中で、氏はデザイン分野を担当。そして期せずして氏と東京同友会とのつながりはここから生まれる。「当時の上司が同友会会員だったんです。上司からは、とりあえず今日はお前出ろ、と言われることも多く、わけも分からず同友会の運動会で走っていたこともありましたよ」と笑う。一方で当時の日本はバブルからその崩壊の時期にあたり、同社の経営も縮小を余儀なくされた。そこで先輩デザイナーと共に1993 年 有限会社パンデコングラフィックスの設立に参加。しかし、2003 年その先輩(社長)が急逝。数年をかけて整理を行いながら、2006 年事業所を調布へ移転し、原子氏は地元でのデザイン活動を開始する。
そしてある日、地元病院の待合室に原子氏の見知った顔があった。しかし、仮にその人だったとしても10年以上お会いしておらず、声をかけようにも迷いが生じた。「でも、少し前までは病院受付も、名前で人を呼んでいましたよね。受付呼びかけの名前を聞いて、当人だとわかりご挨拶しました」。この方が実は、原子氏が最初に勤めた会社で代わりに同友会に出ていた際に、知り合った三多摩支部の会員さんだったのである。誘われて三多摩支部に顔を出した原子氏は、地元調布に構える支部会員とも出会う。そのご縁で地元異業種交流会へとつながり、地元調布での輪を広げていくこととなる。たとえば、市民文学賞『深大寺恋物語』ではPR を中心に20年プロジェクトに携わることになった。「最初に勤めた会社の社長が『夢を絵にすると、その人の廻りに善いことが起こり始める』と言っていたんです。夢はその人の想い。それを絵(デザイン)に落とし込むことで善いことが起こり始める。私はそう解釈しました。実際に地域のイベント告知に携わり、人が集まる様子を見ると、よしこれだったら自分も動けると自信をもらえました」と笑顔に。「地元コミュニティでは、なにをやるにもクリエイティブが大切、という土壌もあり、それも私にとっては有難い支えになりました」。デザインは人を動かす。デザインが変わると、行動が変わる、という確信も氏の中に育まれた。
コロナ禍、飲食店応援をしたいという地元駐車場オーナーの想いに原子氏もこころを寄せ、クイズ形式などユーモラスな表現をデザインした電柱広告をデザイン。電柱一本ごとにデザインが異なる同駐車場の電柱広告は100 種近く。同プロジェクトは2025年、「第14回 東京屋外広告コンクール」の東京屋外広告協会会長賞を受賞した。
デザインをするにあたっては、自分本位のものはつくらない、と言明する原子氏。「あくまでも私は代弁者。ですが、本来伝えたいメッセージを引き出すことこそ、私の役割だと考えています」と躍り輝くまなざしをくれた。