「上質」を積み上げてきた挑戦たち 100周年を若い力と共に
手塚 英之 氏
ヘアサロン大野グループ
パワー・ディレクター
手塚 英之 氏(中央区支部)
㈱大野孝 代表取締役 PD
㈱大野 Global Works ベトナム代表取締役
【会社概要】
住 所 東京都中央区日本橋本町3-2-12
新みやこビル1F
設 立 昭和 9年(1934年)
従業員 80名
事業内容 理容室の運営(国内10店舗、海外2店舗)、化粧品卸・販売など(グループ)
URL https://hair-ono.com/
世の中、相反することが合わさってしまうと、なんとも不思議な感覚に引き込まれてしまうものだ。よどみなく流れている様と、ただそこにたたずんでいる様。一見、両立しないそれを体現しているのが手塚英之氏だ。ご自身は「ぼくはパズルのピース。どこにいってもはまりますから」といたずらっぽく笑う。
ヘアサロン大野グループは現在12店舗。東京に5店舗、大阪に5店舗、そしてベトナムに2店舗を構える。出店場所はビジネス街やホテル内への出店などでV.I.P御用達の理容室を自負。店舗には平均6〜7名のスタッフ(理容師、エステティシャン、ネイリストなど)がおり、3〜4席でお客様を迎える。東京同友会の中でもファンは多く、「自分の気持ちを引き締めるために訪問する」などの声を聞いた。そのような場を提供するに至るには数々の挑戦があった。
時はさかのぼり文明開化。西洋理髪も渡来した。当時の日本の床屋はちょんまげを結う「髪結床」であったが、西洋理髪は髪はもちろん、顔や爪も整えるトータルグルーミングの文化をもたらした。その普及に尽力した人物に篠原定吉翁がいる。ヘアサロン大野の創業者大野孝次郎氏は篠原翁に師事し、近代理髪を学んだ。現在は2代目大野悦司氏がグループ代表を務め、手塚氏は3代目として承継中である。手塚氏は約30年前に入社後、2年目に静岡店(当時)へ異動し、最年少の店長に。次いで、大阪、東京と3〜4年で各店舗の現場をまとめ上げてきた。現在はパワー・ディレクターという肩書で全店のスタッフを支える。
ヘアサロン大野は創業1934年。9年後に迎える100 周年へ向け、若いリーダーたちと共有し、邁進しているビジョンがある。それは紳士の国 英国ロンドンへの出店だ。日本の文化、そしてヘアサロン大野が積み上げてきた上質なサービスが彼の地で通じるかの挑戦である。また、その道程で他国出店の可能性も探り続けている。
世の人材不足難は、理容師業界も同様だ。同社にはそもそも新しい人材をどのように見つけてくるかの課題、そして入社した若い力にいかに早く成長してもらうかの課題があった。人材発掘に関しては2013 年にベトナム・ホーチミン視察。到着後すぐ、街中に溢れるエネルギーに「あっコレだ」と手塚氏は感じた。次いで2014年にハノイ訪問では直観が確信に。「飛行機が遅れに遅れて、ハノイ到着は夜中でした」。ひといきつきたい同行者のために飲食物の購入をかって出た。「夜道をしばらく歩いていくと、ふと明るさが。地元の売店のようなお店でした。さっそく店員さんにビールが欲しいと英語で伝えたんですが、通じない」。お店の外には若者たちがたむろしており、彼らが察し、通訳をしてくれた。「さっそく外で彼らと話しながらビールを飲んでいると、さらにこのビーフシチューが美味しいからたべろ、と。彼らと意気投合してちょっとした飲み会になりました」と笑う。ハノイの若者たちのホスピタリティを目の当たりにし、この察する力は自社、そして日本でも共有できると手ごたえを感じたという。
手塚氏はそれから4年、日本とベトナムを往復しながら、ベトナム出店を実らせた。現在1店舗はベトナム人が店長に。もう1店舗も数年後には現地運営達成の見込みだ。また現地理容学校2校と提携し、インターンシップを実現。彼ら彼女らが日本で現場体験できるように整備をした。また逆に日本にいてベトナムに戻ったが、理容業界に興味がある人材も現地で採用しているという。
現地の人材に日本語教育も行い、そして理容業界の人材を育てていく。「日本の若手スタッフには、他社はやっていないチャレンジなんだ」と語り続ける日々。
そして入社してくれた若手スタッフの成長を早めるための施策として「アンバサダー制度」を創設した。一般的な理容室では理容師が、受付や掃除、洗濯なども兼ねる。しかし、せっかく取得した理容師資格(スキル)を十二分に育める環境を整えたいと手塚氏は考えた。そしてシニア世代、子育て世代などの人材にこれら業務を担ってもらうようにしたのがこの制度である。「当初は若手もアンバサダーたちの存在を理解できなかったようですが、日々の業務で自分たちが本来の仕事に臨めていると気づき、店舗でのチーム力が増していきました」と微笑む。
社内サークル活動で積極的にスタッフと交流をしつつ、舞台・ミュージカル・落語も愛する手塚氏。また「ラジオは生活の一部」と嬉しそうに語る。コロナ禍中の苦難を乗り越え、現在はロンドン出店に向けて、若いエネルギーの意欲を高めることに歓びがあるという。「日本の文化を伝えること。紳士の国英国でも当社が積み上げてきた上質さは通じます」。すっと出る言葉の内々に確かな熱量を感じた。












